ここでは「迷彩の歴史」と発展の流れについて、他のコンテンツと重複する項目もありますが、書いていきたいと思います。
 
■戦闘服としての迷彩■
近代以前の軍隊の塗装は「隠れる」よりも「目立つ」事が重要視されていました。
視覚的な手段でしか識別法が無い時代において
・敵味方の識別
・自軍の強さ
・自軍内での士官の地位や権威を誇示
といった点で、軍旗や甲冑、軍服には目を引く配色やデザインが求められました。
というのも、銃が発展途上であった近代以前の銃撃戦において、敵の前で「目立つ」ことは、決して「一方的に射撃されること」を意味していなかったからです。
 
〜日本では〜
幕末の近代化において戦闘服の合理性が重視され、薩長軍では実用本位の「だん袋」「筒袖」の戦闘服が採用されるようになりました。
勝海舟はこれを「紙くず拾いのような服装」と揶揄したと言われています。
また、必ずしも迷彩を意図したものではありませんが、幕府軍も「菜っ葉隊(若菜隊)」とよばれる緑色の軍装を採用した部隊を設立しています。
しかし、明治期に入り、本格的に洋式の軍装が採用されるようになると、実用性より格式や装飾が重視されるようになっていくことになります。

近代軍服において、1848年ペシャーワルでの戦いで、イギリス軍が現地の色彩に合わせたカーキ色(ペルシャ語で「土埃を被った茶色」)の軍服を用いました。
これが歴史上初めて迷彩的効果を採用した軍服と言われています。
 
しかし、本格的にデザインされた迷彩柄を採用したのは、第一次世界大戦中のフランス軍だと言われています。
1914年末頃、フランス軍の砲兵隊勤務についた一人の画家が、大砲と戦車の迷彩を考案したのがキッカケとなり、迷彩の効果が確認されてからは、軍は1915年以降は偽装迷彩隊を結成させ、その模様を考案するにあたって、画家やデザイナーなどが起用されました。
 
その後、イギリス軍も1916年初めに同様の部隊を結成・組織します。
最も成功した迷彩は、冬季に降雪地帯で着用する白のオーバーオールであり、これは絶大な効果を発揮し、各国においてほぼ反対なく採用されました。
航空機による偵察力の向上、兵器の破壊力の向上に伴い迷彩の重要性が増し、特に第二次世界大戦以降は、各国の軍で迷彩柄は一般的に取り入れられるようになりました。
 
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